師と徒

 

 教育において、重要と思うものに師と徒の関係あるいは位置の取り方というものがあります。私の考えは‘教師=師’はやはり教えるものであって、‘生徒=徒’はやはり学ぶものであるということだけは変わらないと思います。

 それは何を師が教え何を徒が師から学ぶのかが最も重要なポイントであります。しかしここではその学ぶ対象は決定しているとして考察を行います。例えば師の人間性、人格、思想、誠意、生き方を学ぶという場で、師は徒よりも上記の対象については徒よりも多くのことを知っており、体験しており、考察しており、実感として持っている存在であります。

 師はあくまで徒に対して‘教える立場=教える人’であり。徒はあくまで‘学ぶ立場=学ぶ人’である。このことは頑として動かせませんが、現実の状況というものは師はただ教えるだけであり、徒はただ学ぶだけになってしまっては絶対にいけないし、その教育の‘場=状況’は両者が主体的でなければならないし、生きて創造の場でなければならないし、決して固定したものであってはならず、常に動いている場があるだけでなければなりません。

 正しさの点から判断すれば、師も徒も同等であって、どちらが正しいと云う事はないのであります。

 私の画いている教育の場とは師と徒の主体のぶつかり合いの事であって、決して師の権力で押さえつけることを徒に学ばせることでも、師の権力を徒に知らせることでもありません。ここで言っている師の権力とは知識、能力、体験、地位、その他あらゆる師の持っている力を指しているのであって、国家権力などと云う狭い範囲の権力のことではありません。