家庭(親と子)

 

 親と子の組織体について、二つの考えを述べます。その一つは従来通り、産みの親が子を育てる方法です。もう一つは産まれる子は全て地球全体(社会)の子として、個人の私有としない方法です。

 地球全体(社会)の子とは、仮に親に育ててもらうけれども、養育費は全て地球全体(社会)の生産余剰から均等に行うか。あるいは、ある時期からか、または、はじめから一箇所に集めて地球の人間の子として育てるということです。この考えは、親の子に対するグロテスクな愛(エゴ)の醜さより生まれました。自分の子さえ良ければいいという、あの無制限な愛(見さかいのない、狂った愛といった方が良いかもしれない。)のグロテスクな醜悪さ、また逆に子の出来ない夫婦に対する不平等の緩和。親の子に対する残虐行為の数々を見ていると、子供は親の絶対的権力の及ぶ、おもちゃのように思われ、子供は親が育てるべきでは無いと思います。

 多くの孤児達は孤児院で育っています。みなし子は里親に育てられています。別に出来ないことでもありません。社会の子とすれば、孤児の問題はなくなります。この意義には計り知れない重さがあります。

 現代では数多くの託児所が出現しています。この事実を見ても子供は親がなくても立派に育つと思います。

 前者の、子は親のもとで育てるべきと考えるのは、母乳の必要性が言われています。親達の楽しいおもちゃ、しかも自分の物であるという、強い意志の持てる物は他にはありません。これらのことを否定は出来ないと思います。

 しかし、後者の方が良い様に思います。病人や老人も素直に社会の皆で援助することが出来る様に成ると思います。