道徳

 

 全ての現実に動いている時間、空間の中で他者と相対的な関係においてのみ真実を持つ、その瞬間、瞬間にしか真実も意味もありえないと思います。このことが生きている証しだとも思います。従って、文章や芸術やその他これから来るであろう未来あるいは逆に過去等について思い煩う事は無意味だと思います。

 何一つとて、その現実の場に使えるものはなく、その時、その時、その場での判断・行動のみが真実なので、全てはその状況が起こって見なければ、いくら考えて見たところで無意味であります。

 全ての行動・判断はその状況の中に任せるべきで、初めから、こうであると決めて置くものなど何もありません。だからこそ生きているといえます。

 従って人間は多くの間違いを起こし続けているのだと思います。

 もともと、善も悪もないとすれば全ての場に何の定めもなく、その場に全力でぶつかり判断し、行動をしていく以外にありません。

 未来には何一つ持って行かず、悩みは抜いてその一瞬を生きる。このことの連続があるだけだと思います。

 どのような作品も何の意味もありません。その作品が出来ている時、その今動いている時だけに意味があると思います。

 その人が過去に何をやったとか。どこで生まれ育ったとか。どの様な事をして来たかなど、一切は無意味であります。

 従って、作品発表なども何の意味もないと思います。

 明日はどうしようとか。どんなことやろうとか。寝不足したらとか。遅れたらとか。そのような一切の未来の心配は無用だと思います。

 生きている。つまり意味のあるものは、今その時だけであると思います。

 改めて云います。本当に意味のあるものは、『そうしている今その時だけ』だと思います。